東日本大震災 | 給料もらって、ゴメンナサイ

給料もらって、ゴメンナサイ

わたし、Mはしがない会社員

英語が出来ないのに、何かの間違えで、1年余りをアメリカで生活

この秋に命かながら、日本に帰ってきました

3/11 娘の誕生日だから、早く仕事から帰って、誕生日ケーキを取りに行かなくちゃ!

と朝思っていたM妻・・・


午後3時前、ゆうびんきょくの貯金窓口業務中・・・大きな横揺れに襲われました。

長い、長い横揺れ・・・


お客様に頭の保護を指示しつつ、ガスの元栓を締め、机の下にもぐっていたM妻。。。。。


気がつけば、ガラス向こうに見える信号機は消えているのにもかかわらず・・・

車はスピードを落とすことなく行き交い、歩道で信号待ちをしている人々は、道路を横断しようと、隙をねらっていました。


情報欲しい局員は、携帯で情報を得ようと試みましたが、使用不可・・・

ラジオから聞こえてくる放送内容は悲惨な状況を想像させ・・・・


ただただ、早く家に帰って、子供達の無事を確認したかったM妻。。。


我が家は海沿い・・・


大津波警報が出ているのは、百も承知・・・



でも、帰宅途中の娘や息子が不安で待っているのではないかと思い・・・焦るばかり・・・




4:30の定時には、パートである私は帰宅の許可が出て、自宅まで10キロほどある道のりを歩いて向かいました。

途中、タクシーを運よく拾うことが出来、自宅に戻りましたが・・・


M息子も、M娘もいません。


学校の授業中だったため、そのまま体育館に避難していました。



体育館では、子供達が引き取りの保護者を暗い中、首を長くして待っていました。

娘と息子を見つけることが出来たM妻は、そのままライフラインのストップしていないお友達の家に泊めてもらい、

一夜を過ごしました。


被災者の皆様の避難生活を思うと・・・・胸が苦しくなります。

家族を亡くした悲しみ、行方のわからない不安・・・

なんと申したら良いのか言葉が見つかりません。


一日も早い復旧、復興をお祈りいたします。